2016年06月01日

僕らは勇気を試されている

一昨日の夜中、外からバシャバシャと水しぶきの音が聴こえた。
何か動物が裏の水路で溺れているのではないかと気になり
見にいくと幾匹かの鯉が勢いよく跳ねているではないか。
不思議な夜であった。
そして昨日、白猫が僕の顔を見て走り去り。
今日 死んだ黒猫が水路に浮かんでいた。
このミステリーに首を突っ込んではいけない。
不吉な予感などしてはいけない。
とりあえず、手を合わせよう。

話しは変わり、
先日のオバマ大統領のスピーチに僕は感涙した。
戦争に触れたことのない僕には理想と現実の間を
長い年月をかけて繋ぐ具体的なアイデアの共有を
呼び掛けているように感じた。
人類の過去と未来の話をしていた。
自分が見ることが出来ない未来の話。
核抑止って何?って世代にバトンタッチ。
単発的で劇的な革命に心踊らされる
時代に別れを告げ、歴史を教訓に世紀を跨ぎ
実現していくのもまた革命であると僕は思う。

僕は過去の悲劇を感傷的に語り継ぐという事に
関しては懐疑的ある。広島、長崎に行かずとも
核兵器のない未来を皆望んでいると僕は思っている
もちろん稀にクレイジーな考えに溺れる人間もいる
だろう、ただ日本においてはそんな人間が
指導者になれることは今後絶対ないと思えるくらい
僕らは平和に慣れ親しんでいる。
そのことこそ誇りに思い、世界にアピールし
後世に語り継いでいけばいいだけだと思っている。
たとえ北朝鮮がミサイルを撃ってきて惨劇に巻き込まれた
としても、たとえ中国が領土を広げようとしてきた
としてもである。僕らは僕らの勇気を試されている。
今はまだ何も起きていない卓上の僕の理想論である。
大事な人を失ったこともなく、北朝鮮やイスラム過激派
の脅威みたいなものを肌で感じたこともなく、中国人に
嫌悪感も覚えたこともない(バイト先の中国人はよく働くし)
綺麗事にまみれた僕の思考を打ち砕かれるような
ことが起こったとして、堪え難い怒りを覚えたとして
生涯そのことで苦しんだとしても、そのことは子供たち
に語り継がせるようなことでないと現時点では
思えています。

こんなことを毎日考えているわけではないが、
小さな日常の中でも許し合うということは勇気が
いることかもしれない。自分の"許せない"が周りを
歪めてしまうくらいならさくっと許せるような
人間になりたいと最近はよく思います。






posted by ギガディラン at 22:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする