2017年11月30日

と 歌い続けてきた僕にある。

11月20日、トキロックは医療保護入院となった。
限界を超えさせてしまった責任は僕にある。
"何でもないようなことがしあわせだったと思えるような人には 僕 なりたくないから"
と 歌い続けてきた僕にある。

話せば長くなる。書けば少しは短くなるだろうか、とにかく書き始めてみよう。

10月頭にジュンの脱退の話が持ち上がって以降、望ましくない出来事が重なり続けた。
防戦一方の日々。トキロックの様子がおかしいことには気づいていた。僕自身も軽い動悸、不整脈が慢性的に続くようになったりと、余裕が削り取られていく感覚の中で残り3本のライブどうやって臨むか、もっと言えばステージに立つことが出来るだろうかという不安と恐怖が寄せては返す波のごとく行ったり来たりしていた。mothercoatは思いを詰め込んで15年余りやってきたことだ、思い詰めずにはいられなかった。しばらくすればケロっとしてる自分を想像しながら思い詰めた。そんな中、10月半ばにお義父さんが倒れて入院された。お見舞いに行った時、あまりの痩せ細った姿にショックを受け、病室から出たトキロックは廊下で倒れ込んだ。お義父さんは月末に退院され要介護となった。向き合わないといけないと思いトキロックのお兄さんとも会って、出来る限りの手助けする旨を伝えた(気持ちに自分達の現状が追いつかず、協力も出来ず、逆に心配ごとを増やしてしまうこととなってしまった)。11月5日 TOKYO BOOT UP元代表のケンさん(渡邉憲一氏)が亡くなられた。何度もお食事に連れて行って頂いたり、こんな僕らをいつも気にかけて下さっていたことがとても励みになっていた。いつか福島にも歌いに行く約束もしていただけに急な訃報はとてもショックであった。その後すぐmothercoatの公式HPが乗っ取られている可能性がありますというメールがサーバー会社から届き、サーバー側から強制的にロックがかけられ、HPが見れなくなった。そしてそこには”サーバー内のすべてのファイルを削除し、最新版に置き換える等、適切な処置を賜りますようお願いいたします。”とも書かれていた。僕自身もショックであったがそれ以上にこのHPはトキロックが頑張って作ったもの(作品)(いくつかのバグの修正に時間がかかり日本でリリースが間に合わずUKツアー中もその修正をやってツアー中にリリースした時は感動ものであった)であり、その事をこの今のタイミングでトキロックに伝えるのは心苦しさの極みであったが、僕では対応出来ないことであったので、伝えて対応してもらった。その対応の中で警察とのやり取りが必要だったりと心労が重なり続けたことも影響してか12月に手術予定だった持病が急激に悪化し動くこともままならない状態となった。トキロック抜きでライブやることも僕は覚悟したが、弱音を吐いたトキロックにこれが終わればゆっくり休めるからと、ジュンとケンスケ、誘ってくれた人、見に来てくれる人達のことを考えろと強く言ってしまったこともあった。mothercoat をやってきて初めて苦しいと感じた。
11月17日。なるようになる、バンドとしてのステージが成立しなかったら、素直に謝ればいいと思っていたが、ジュンとケンスケのmothercoatとしての東京でのラストライブ。悪い思い出にならないようにはしたいなという欲はあったし、誘ってくれたヤマウチや観に来てくれる人達をがっかりさせたくないなという欲もあった。
朝、少しスタジオに入った。トキロックは途中で、私はここまでと言って部屋に戻っていった。いつもは下道で行くのだが、出発時間が遅れこの日は高速で東京へ向かった。
この日トキロックはもはや自分でセッティング出来ない状態だった、15年間ステージに立つ時は必ず衣装に着替えていたが、それもしたくても出来ない状態だったのだろう、今日はこのままでやると言った。
本番前まで車で休んでいたというか、動けなくなっていた。転換前に車で箱まで連れて行った。楽屋に戻った時は相当辛そうだったが、後戻りは出来なかった。
セッティングを終え3人は袖にはけた、おそらくトキロックはその場から動けなかったのだろう、ステージの上で椅子に座ったままだった。
僕は15年間mothercoatを優先させ続けてきた。そしてこの日も当たり前のようにmothercoatを優先させた。後悔はない。綺麗事のように聞こえるかもしれないが、お客さんから力を貰ってやり遂げることが出来たというのが僕の素直な感想である。トキロックも心身共に限界を超えていたであろう中でステージにいることが出来たのは、お客さんの愛に守られてる感覚があったからだと僕は思っている。”pigeon”は歌えなかった。その事をトキロックは正直にステージで言った。その時この人とバンドやってて良かったなと心から思った。
ジュンはリハではあんなドラム叩かない。ジュンにも思いの丈があったのだろう。MCでは茶化したが、血を騒がし合えたことは素敵な記憶となる。ケンスケはとんでもないバンドに入ってしまい、約10ヶ月、最も練習した男である。頼もしいギタリストになりかけた矢先であっただけに、申し訳ない気持ちでいっぱいである。また新しいバンドを組むことが出来たら、心から応援したいと思う。ギタリスト探してるバンドいたら声かけてあげて欲しい。

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アンコールはボブディランに頼った。
DIYで色々やってきたのは、人に任せたり、頼んだりする事が下手くそだったからだ。出来ない事までやろうとしたり、出来るフリをしてみたり、無理してでもやろうとしたし、それなりにやってきた。この日もしアンコールがあったら僕1人で歌おうと、メンバーにも僕1人で最後出て行くと伝えていた。自分がその時歌いたかったら歌おうと、喋りたかったら喋ろう、疲れ切ってしまったら人に任せよう。そう思った。

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そして、ボブディランに任せた。

1.assaji
2.fake a fake
3.u.n.o
4.in bathtub
5.bug the carnival
6.good bye
7.pigeon
8.post

en.Don't Think Twice, It's All Right

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終演後、無事なんとか終わったという安堵感と懐かしい顔ぶれが揃って観に来てくれたこともあり、気が緩んだ。トキロックの事を気にはなりながらも、ジュンとケンスケが楽しくお酒を飲んで人と触れ合える時間を大切にしたかった。

翌日、ケンさんのお通夜が福島県のいわきであり、ありがとうございました だけは言いに行きたかったし、行くべきだと、車を走らせた。

ここから先のことは今はまだ書けない。書くべきことでないかもしれない。書かずにおれないかもしれない。
記憶はあまりに鮮明であるが、忘れてしまいたい。しかし、しっかり向き合い時折思い出さなくてはいけないこと。
とにかく現実としてトキロックは自分の意思ではなく精神の病で入院した(させた)。
それでも未だ僕はmothercoat。

明日、名古屋。"観に来ないで"とは言えない。
"観に来て"と言いたい。

◆12/01(金)
@ 新栄 CLUB ROCK'N'ROLL(愛知)
CLUB ROCK’N’ROLL 25th ANNIVERSARY!!!
open/start/act: 18:30/19:00/19:00~
adv/door: ¥2500/3000
bands: palitextdestroy,about tess, I love you Orchestra





posted by ギガディラン at 23:35| 埼玉 ☔| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

安心の種は芽を出さずして

10月3日 それは来年の話をしようとしていた矢先のことであった。
ジュンがバンドを辞めると言った。

正気を保とうと理性を総動員した。一度は受け入れたものの、気持ちの整理は付いては散らかり、ジュンに一時の気の迷いではないかと?引き留めてみたものの、2度ライブをやった後もジュンの気持ちは変わることなかった。

ジュンはmothercoatをやる為に以前僕とトキロックが住んでいたすずらん荘の2階にも越してきたし、当たり前にように深谷にも二つ返事で着いてきた。
加入当初最も頼り甲斐がなかったジュンがドラマーとしても人間としても僕の安心の種(花咲くのはもう少し先であると期待していた)になっていた。トキロックが落ちた(飛んだ?)時、トキロックの声を聞いて救急車を呼んだのもジュンである。そこからも命こそ誰も落とさなかったものの色々とあった。今日まで口には出さなかったが、しんどい思いをさせたというか手放しに楽しいと思える時間を共有できることが余りに少なかった、ちょいとばかり頭のおかしい夫婦に気を使わざるを得ない時間も多くあっただろうと思うと胸が締めつけられた。

ケンスケが入り希望を持ちながらも不安定の王様のような状態でライブを再開した時に僕は当然のようにジュンとはずっとバンドをやっていくんだろうなと(入交家の宿命のようなもの)、もう少しバンドの首が座れば彼女も連れてツアー回れたりしたら最高だななんてことを現実として考えていた、むしろケンスケがバンドのギアが一段上がった時に辞めると言い出すんじゃないだろうかという怖さやトキロックの調子のことばかり気にかけていた。が、このタイミングでまさかのジュンであった。驚愕の間の悪さに、ドラマーとしての素質を疑った。
恥ずかしながら、数日は寂しいと悔しいという感情を抑えきれずトキロックに泣きついた夜もあった。トキロック自身もそんな僕を受け止めきれるわけもなく二人して奇人と化した日もあったがなんとか日常生活への支障を大人の技で最小限で抑えることが出来た。

これまで逆境を力に変え踏ん張ってきたが、力に変わる旨味に味を占めたのか、逆境を引き寄せる力を持ってしまったのかもしれない。それともこれがカルマの仕業というものだろうか?

結果的にケンスケの人生も掻き回し途中で泡立ち悪いまま泡立て器の電源が切れ、
手で掻き回す力が今の僕にはなく、これ以上は巻き込めないと判断。

今年、残り東京、名古屋、新潟を持ってmothercoatは冷凍庫に。

破壊と再生はアーティストを育てるが破滅の修正は人間を蝕む。

とにかく疲れた。少しの間ぼーとしたい。

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たかだかバンドの生死の話である、人の命に関わる話ではない。
posted by ギガディラン at 23:43| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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